高野山の宿に宿泊して、翌日早朝に奥の院へむかいました。
5月だと5時30分でもこんなに明るいんですね。奥の院へと向かわれる方がチラホラといらっしゃいました。
奥の院では、1日2回、お大師様に御膳を届ける「生身供(しょうじんく)」という儀式が行われています。
832年8月、建設中の根本大塔で「万灯万華会(まんとうまんげえ)」を営んだお大師さまは、「虚空尽き、衆生尽き、涅槃つきなば、我が願ひも尽きむ」と、衆生済度のための永遠の誓願を立てます。このときお大師さまは58歳です。
この法要から一切の食事を断ち瞑想を続け3年目に入った835年にはついに水さえ飲むのを辞めてしまいました。そして弟子たちを集めたお大師様はこう語ったそうです。
「私は3月21日の寅の刻に山に帰る。嘆き悲しむことはない。これは終わりではなく始まりなのだ。遠い未来、弥勒菩薩が下生されるまで、私は高野の東の峰で禅定する。そのときが来たら、私も弥勒菩薩と共にこの世に現れるだろう。もし私に会いたくば、「南無大師遍照金剛」と唱えよ。私はその者と常に共にいるであろう」
そして、835年3月21日にお大師さまは入定されました。
それから1250年間、1日も休むことなく生身供は続いています。お大師さまが今でも奥の院に居られて禅定を続けていると考えられているためです。
数年前、はじめて朝の生身供に参列したとき、私は過去生でここに居たことがあったのを思い出しました。
その数年前にたまたまみた夢が高野山で僧侶をしていた頃の私の姿だったのですが、瞬間的にその夢の映像を再び見せて貰いながらお大師さまに教えてもらったのです。
私がここで僧だった頃にはもうすでに、お大師さまは入定されていました。
それでも、私のことをちゃんと見ていてくださったそうです。
(私が特別ということではなく、お弟子さんは皆そうなのだそうです)
「生まれ変わって姿が変わろうとも決して忘れることはない」と、お大師さまは優しい口調でそう言ってくださいました。
お大師さまに会いたくて、今回数年ぶりに高野山へ来ることができました。
奥の院「御廟橋」の手前にある「網地蔵」の前で、はじめにお膳の毒味をします。
その後、出発の儀が行われます。
ゴールデンウィークということもあり、たくさんの方が見守っていらっしゃいました。
御廟橋から先は撮影禁止です。
あとについて御廟へ向かいます。
奥の院燈籠堂が改修工事中でしたので、隣接する記念燈籠堂で行われました。奥の院燈籠堂よりも小さな建物のためいつもよりも近い距離で、お経をきくことができました。
参列者さまがとても多く、室内はかなりギュウギュウでしたが、お大師さまにちゃんとお会いできて嬉しかったです。
今回は金峯山寺で授かった「五嶽神鏡」について伺うと、お大師さまもこの五嶽神鏡の素晴らしい力は「間違いない」と言っていました。
今回の旅ではさらに山奥へ行くことを伝えると「これを身に着けておくとよい」と教えてくださいました。改めて授かって良かった~!と思いました。
お大師さまにあれもこれもとずっとお話していたら、1時間のお勤めはあっという間に終わってしまいました。お大師さま、たくさんお話を聞いてくださりありがとうございました。
とても心があたたかく、とっても晴れやかです^^
こうやってブログを書いていたら、また高野山に行きたいなぁと思ってしまいますね。
ご神木と一緒に記念撮影。
この日はちょうど春季結縁灌頂の初日でした。これは受けるしかない!ということで早々に予約をして、とても楽しみにしていました。
朝食をとり壇上伽藍へむかいました。つづきます!