私の住む岐阜市に不登校児専門の中学校が開校されることが決まったそうです。
開校除幕式・内覧会で京都大学総合博物館准教授、塩瀬隆之氏が行ったスピーチがとてもすばらしいので1部をシェアさせてくださいね。
大人は、時間割も、教室も、担任の先生も、9教科もよかれと思って子どもたちに与えます。子どもたちに必要だと思うから与えるのです。
子どもたちが持っているのは「学習権」です。学びたいと考えたときに学んでいいという権利です。義務を負っているのは大人で、その子どもたちが学びたいと言ったときに、学ぶ方法すべてを提供しなければなりません。
教室の中に、正方形のタイルのようにまっすぐ並ぶことのできた子だけが学んでいいという、そういう条件付きの学びではなくいつ、どこで、だれと、なにを学びたいのかそのすべてを選んでもいいはずで、その環境を提供できることこそが、大人に課せられた使命だと思います。
Yahoo!ニュースより転載
https://news.yahoo.co.jp/articles/28bdee3a33dc177dc95909d7f669b8038d179d5b?page=1
わたしは今の日本の教育体制がすべてダメだとは思っていません。その中で素晴らしい学びを経て素晴らしい経験をする人も多いのは事実ですしそれが性格にあっている子もいると思います。
しかし、なじめない子もいるのもまぎれもない事実です。
わたしの子どもの頃、「学校」は絶対的なものでした。なにがあっても行かなくてはいけない行きたくないから休むなんて、あり得ない時代でした。体罰も普通にありましたし。。。それになじめない自分は欠陥人間なんだと思っていました。
学校生活を楽しんでいる皆がうらやましくもありました。そう見えていただけなのかもしれませんが。
学生の頃は勉強が大嫌いでしたし勉強する意味もわかりませんでした。
今思えば自分の今知りたいこと、体験したいことがその時そこには無かったのだと思います。
自分が興味をもったことは誰に言われなくても、知りたいという欲求が生まれますし知るために何等かの行動を起こしますよね。自然に知りたいという意欲が生まれ、探求心が生まれて、そこからあたらしい世界が広がっていきます。
わたしが学ぶことが心から楽しいと感じるようになったのは、社会人になって自分が知りたいと思ったことを自分で選んで探求し始めてからでした。
わたしのサロンにも不登校のお子さまをもつお母さまが相談に来られることが度々あります。子どもたち1人ひとりにあわせて教育を選べる時代へとこれからどんどん変わっていくことを願うばかりです。
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