前回の続きです。
前回の記事はこちら
高野山①
宿坊を出発し、歩いて奥の院へ向かいました。
まだあたりは真っ暗で奥の院を歩くのは初めてだったので、ちゃんとたどり着けるかなぁと思っていると
奥の院の入り口でおじさんに声をかけられました。
「いまから奥の院にいくの?距離は2キロだよ。真っ暗だけど懐中電灯もってる?」
と、おじさんがいろいろ聞いてくれたお陰でその不安もスッとどこかへ^^
おじさんとお別れして奥の院に入ると、私たちと同じように奥の院へ向かう人の姿がみえました。
その人は、上下真っ赤なお洋服を着ていらっしゃったので、暗闇でもとてもわかりやすくとても助かりました^^
上下真っ赤なお洋服を着ている方って・・・普段、中々みないですよね。
入り口から目的地である空海さんの御廟まで30分弱かかる道のりです。
歩道の両脇はお墓で、しかも真っ暗なので迷うことはないにしてもちょっと心配だったんです。
きっと、私たちが不安にならないように空海さん達がサポートしてくださってるんだなぁと思いました。
ありがたかったです~
太陽が昇りだした頃、奥の院 御廟橋に到着しました。
承和元年(834)に空海さんは自らが現在の地に廟所を定め、翌年3月21日に永遠の瞑想へ入ったといわれています。
空海さんは今も御廟の中で生き続けていて平和と人々の幸福を願い瞑想を続けています。
「生身供(しょうじんぐ)」は空海さんの入定後から現在まで1200年もの間続けられている儀式です。
空海さんに食事を届けるこの儀式は現在、1日2回行われています。
この先にあるのが。弘法大師 空海さんがいらっしゃる御廟です。
この先は撮影、録音も禁止のため、写真はここまでです。
御廟に到着すると2名の方が朝の勤行を待っていらっしゃいました。
私たちも中に入り、勤行に参加させていただきました。
僧侶の皆さんがお大師さま(空海さん)に生身供(しょうじんく)をお供えされ、勤行がはじまりました。
お経とともに大きくエネルギーがうごきました。お大師さまの愛のエネルギーが御廟いっぱいに広がります。
その場のエネルギーに包まれてすべてを委ねました。お大師さまに色々お話をしていると私の質問にお大師さまが答えてくれたのです。
「こんな事を聞いて答えてくれるのかな?」と思ったことも丁寧に教えてくださいました。これには本当にビックリしました!
私はこの高野山になつかしさを感じていました。もしかするとここに居たことがあったのかもしれないと思っていたので
お大師さまに聞いてみました^^
「私はここで生きていたことがあるんでしょうか。何故かとても懐かしく感じるんです。」
そう聞いてみると、お大師さまは「ふふっ」と笑って
「おまえはもうその姿を見ているであろう?」そうおっしゃるのです。
その言葉を聞いたとたん、私の頭の中にパッとあるビジョンが広がりました。
その風景は5年くらい前のある日、夢でみた光景でした。
黄色の衣を着た若い2人の僧侶が大きな建物の前に立っている姿でした。
大きな建物の大きな柱が印象的でしたがどこの風景なのか、この僧侶は誰なのかもわからないままでした。
この建物が御廟で若い僧侶の1人が私だったようです。
私はここでお大師さまからたくさんの事を学んでいたんですね。
※その頃の私の感覚で一部だけ「お大師さま」とお呼びしている文章があります。
お大師さまは私にこう言いました。
「今のおまえはもう僧侶ではない。枠にとらわれず自由に魂を磨くといい。」
お大師さまの大きな愛と光に包まれて感謝と懐かしさがこみ上げて、涙がでました。
勤行が終わり、夢の中にいたような不思議な感覚からなかなかさめませんでした。
感謝の気持ちと共にお参りをして御廟をあとにしました。
こちらはお供物所です。生身供(しょうじんく)はこちらで用意され、御廟へと運ばれます。
帰り道は朝日に照らされ、とても清々しく晴れやかなエネルギーでいっぱいでした。
奥の院一ノ橋前の風景です。
奥の院入り口に到着しました^^
奥の院はまた来年、是非伺いたいと思いました。空海さんとまたお話するのが楽しみでなりません。今からとっても待ち遠しいです^^
この記事へのコメントはありません。